口実

 日付は10月31日。カレンダー上では他の平日と同じような顔で座っているが、世間では10月最終日はハロウィンという一大イベントになっている。駅前では夜に仮装行列があるとか、定刻で退勤する奴らが話していた。そんな外界の盛り上がりをよそに、俺は「ハロウィン or 残業〜」「イエーイ」と、同僚と共に詰まれた仕事をやっつけることになった。普通の平日と変わりのないフロアの光景だ。
 普段とちょっと違うことといえば、上司が「これは鬼蜘蛛丸の分」とクッキーをくれたことか。残業に取り組む部下全員に配っていた。厚意をありがたく頂戴して、皆でお菓子をつまみながらの残業。少し浮かれた気持ちで、しかし真面目に全ての仕事を消化し、同僚と軽く外食を済ませ帰宅した。
 「週明けは晴れますが気温が急に下がるでしょう」と日曜の天気予報で言っていた通りの日中の天気だった。夜になると風も強くなり、太陽が沈んだ風景の中では、空気の冷たさがなおさら身に染みる。コートの襟元を押さえ寒さから逃げるように我が家に駆け込んだが、一人暮らしのために誰かの出迎えももなければ灯った光もない。そんな室内は十分に冷え切って、風でカタカタ揺れる窓と暗い室内が寒さをさらに演出していた。やれやれ、浴槽にお湯を張る前に暖かい飲み物でも飲もうかと、灯りを点けたキッチンにひとり立った、そのとき。

「ピン、ポーン」

玄関のチャイムが鳴った。呼び鈴を押してから指を離すまで、ゆっくり時間をかけるような鳴り方。来客予定はないはずだが、連絡もなくやってきて、ちょっと遠慮がちなこんなチャイムの鳴らし方をする相手に、心当たりはある。扉へ向かい、のぞき穴から相手の姿を確認する。自然とゆるむ己の表情を自覚しながら、鍵を開けてドアノブを回した。
「鬼蜘蛛丸〜Trick or Treat?」
 びゅうびゅうと吹く風に茶色の癖っ毛を弄ばれながら、笑顔の義丸が立っていた。



 夜の帳が下りた外とは対照的に、灯りが点いているおかげで明るいリビング。テーブルの上には、義丸が「はい、おみやげ」と差し出してきた手提げ袋がひとつ。袋の中にきれいに納まるように、箱がひとつ。どちらも綺麗なオレンジ色をしている。袋の側面には、店の名前だろうか、キラキラとした金色の英字のロゴが控えめにプリントされている。有名なブランドや店の名前に詳しく無い俺でも、おしゃれだな、と思う。義丸が立ち寄ったんだろうから、きっといい店なんだろう。
 箱をそっと取り出し、ふたを押さえている丸いシールを慎重にめくる。実は昨日、爪を切ったばかりなので、うまくシールの端がひっかかってくれない。ニヤニヤしている義丸の顔を視界の隅にとらえつつ、少し苦戦しながらそれをはがすと、ガラス容器に入った濃い黄色のプリンがふたつ登場した。黄色というよりはオレンジ色に近いかもしれない。
 平らな表面はツヤツヤとして、きれいに蛍光灯の光を反射している。真ん中にはオバケのかたちをしたホワイトチョコレートと、それを囲む蔦のようなかたちのチョコレートのデコレーション。俺好みの、しっかりとした固さがありそうなプリンだ。
「うまそうだなあ〜」
「だろう?ハロウィン期間限定のかぼちゃプリンなんだと」
 ご馳走を目の前に弾む俺の声を聞いて、義丸の目がきゅっと三日月みたいに細くなり、嬉しそうな顔をする。
「職場の近くのケーキ屋のプリンが美味いって女の子たちが騒いでて、その通り人気なのか毎日外から完売の札を眺めてたんだけど、今日は偶然残っててさ。鬼蜘蛛丸はかぼちゃもプリンも好きだろ?運良く2個買えたから一緒に食おうと思って」
 いやーいてくれてよかったわ、と壁のハンガーにコートをかけながら話す義丸の声を聞いて、そうかと思う。
「俺のことを思い出してくれたのか」  胸に湧き上がったことをそのまま尋ねたあと、こいつはこういう質問が苦手だったなと思い出す。すまん。そんなこっちの気持ちを知ってか知らずか、義丸はこちらを向いてはにかむように笑い、「ん」と答えた。その短い返答の声色と表情に、腹の奥の方から愛しさがこみ上げてくる。そうかあ。それは嬉しいなあ。さっきまで冷えていたそこいらが、じわっと暖かくなるような気持ちだ。
 同時に、返事の前に一瞬空いた時間のことを考える。こいつが、俺の目を見ないで饒舌になるときは、ほんの少し、何かを隠している時だ。それを思って更に大事にしたくてたまらなくなる。こいつの、そういうところ、俺は嫌いじゃないんだ。もう少し、まっすぐに気持ちをぶつけてくれてもいいんだがなあ。
 すっかりいい気分になっていた俺は、こいつは内緒だが、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけいじわるな気持ちも込めて言う。

「こんな口実を作らなくても、いつでも来ていいんだぞ」
 からかい半分、当たってなくて笑われてもいいか、というくらいの軽い気持ちだったのに、うっかり真面目なトーンになってしまったかもしれない。俺の顔を見ていた義丸は、パチパチと瞬きしたあと、ふうわりと目尻を柔らかくしたかと思うと、フフッ、と可愛いものを見たときみたいな声で笑って、そして、おい、なんだその、勝負に勝ったみたいな顔。

「何もなくても、来るつもりだったけど?」

 口実って、と笑いながら、乾いた風みたいにさらっとした口調で表情をキメた義丸が言う。
 うわ、これじゃ俺が自意識過剰みたいじゃないか、と思ってしまって少しくやしい。お前な、そういうかっこいいことは恋人にでも言ってやれ。あ、俺だな、恋人。うん。くそ、かっこいいな、こいつ。そんなことを頭の片隅でぐるりと一瞬考えて、正面の男前の顔を見つめる。見つめて、たまらなくなって、声に出す。
「……お前は、本当にいい男だよな」
「はは、それはどうも」
 浮かべた笑みを崩さず、義丸が椅子に座る。引いたはずみで椅子が床と擦れ、ギイと音が鳴る。どんな表情をしても様になるやつだなあと改めて実感しながら、人に好かれそうなその顔をじっと見つめる。俯いた顔だってえらくかっこよく見える。実際かっこいいんだが。
 俺の視線に気づいた義丸が顔を上げて、見つめ返してくる。くっきりとした黒目が俺を捉える。白目と黒目の境がはっきりしていて、綺麗な目だなと思う。こんな、こいつを独り占めしてるなんて、なんだか贅沢だ。
 ---そのまま数秒。ちょっとした我慢大会みたいだなと思った瞬間、俺の視線の正面にあるまつ毛が、震えながらゆっくりと二、三度上下し、頭がゆっくりと傾き、目線がゆっくりと斜め下に逸らされる。なんだか甘ったるくてとろけるような空気のなか、緩慢な動作で義丸が動く。指の長い大きな手が、さっきより口角の上がったその口元を覆う。
 それから急に「手、洗ってこよ。」と言うと、義丸は椅子から立ち上がりバスルームへと姿を消した。お前、そういうところわかりやすいし、かわいいぞ。かわいいから他の奴の前で見せるんじゃないぞ。
 照れるなら最初っから言うんじゃねえよ、色男。と相手に決して聞こえないように呟き、コーヒーでも入れようかと思いカップを取り出す。そういえば、寒かったから何か飲もうとしていたんだった。来訪者のおかげで寒さも吹き飛び、すっかり忘れていたけれど。
 戸棚や引き出しから必要なものを取り出しながら、ほんのり赤かった去り際のあいつの頬を思い出す。きっと外が寒かったからだけではないだろう。
 寒いとか、寂しいとか、好きだとか、理由なんてなんでもいい。理由なんて無くてもいい。会いに来てくれ。できれば先に連絡をくれ。待ってるから。俺は、待つ時間は嫌いじゃないんだ。

—————————————————-

 「うまいな!」
 かぼちゃプリンを一口食べた鬼蜘蛛丸が、目をキラキラとさせて声を上げる。その目はプリンを見つめたままでちょっと寂しいけど、美味しいものを食べているときのあんたの顔を見られただけでじゅうぶんだ。その顔を見たくて買ってきたようなもんだから。
 口実が無くてもこいよと、そう言われた時はウワッと思ったね。この人、普段は鈍いのにこっちがやめてくれっていう変なタイミングで勘がいいから困る。
 でも、残念ながらあんたの推理はハズレだ。別にプリンは口実じゃ無い。どっちかといえば、あんたんちにまたお邪魔することへのお礼というか気遣いというか。だって、ここにくる理由なんて、いつも同じ、いつもひとつなんだ。あんたがここにいるから、っていう、ただそれだけだよ。
 そんなことを思いながら、かわいい恋人の顔を見て、その恋人が淹れてくれたコーヒーをすする。あー…凍えた身体に温かさが染み渡る。あったかいなあ、ここは。
「鬼蜘蛛丸の入れてくれるコーヒーが美味いから、またすぐ来ようかな」
 マグカップに口をつけたまま、ゆらゆらと揺れるコーヒーを見つめてぽつりとこぼすと、間髪を入れず「うん、いつでも来い来い」と鬼蜘蛛丸が返事をする。プリンを食べる手は動きっぱなしだ。あんた、美味そうに食べるね、ほんと。


お互いに相手への欲があることを匂わせる鬼義っていいな。と思います。かわいい。かわいく書けていたら嬉しい。