ミキキメモ

いろいろぽいぽい

「君たちはどう生きるか」鑑賞しました。以下ざっくりした感想。
なお、ジブリ作品はポニョまでの劇場公開作品は何らかの方法で見てる、くらいで、熱心なファンではないです。でも宮崎駿はすごいと思っていて、彼に関するドキュメンタリーも見たことがあります。今回は「宮崎駿が手がけた作品を、前評判も内容もわからない、まっさらな状態で劇場で見れる機会なんて、今後の人生においてもうないだろう」「宮崎駿に"君たち"と呼びかけられるなんてレアすぎる」と思ったので早めに行くことにしました。

…というライト層ですが、本作エンディングに入る頃にはマスクがしっとり濡れていて、少なからずこの作品に心を動かされた証拠があった。どうして泣いたのか、どこがきっかけで泣いたのかは、よく覚えていない。ああこれが、青鷺が最後に言っていたことかな。持ち帰ったものに強い効き目はなくて、いつか忘れちゃうけど、みたいな内容のセリフ。

まず、ストーリーは説明しづらい。凹凸が合わないパズルのピースをつないだような、白昼夢的雰囲気で、一貫性にはやや欠けると思った。また、私があまりにきれいにこの作品の主題が「君たちはどう生きるか」だと受け取ってしまったので、誰かに本作のストーリーを尋ねられると「君たちはどう生きるか、でした…」になる。タイトル回収か。ストーリーは本当にそんな感じ。ざっくり表現するなら、"現実世界から非現実世界に足を踏み入れ、そこでの体験をうけて成長し帰ってくる少年の話"と説明できるか。そうなると、近しいのは異世界を旅する児童向けジュブナイル作品になるのかな。この部分だけ抽出するなら、少年少女向けとも言えそう。ただ、冒頭で現実の戦争を背景に持ってきたことで、現代の少年少女からはやや距離があり、宮崎駿の人生兼内面世界を描いたものである、という面を強く受け取った。

でも、ストーリーの整合性以上に、見た人に対して伝えたいことを詰めた、メッセージ性のある作品なのではないかな。おそらくすでにそれなりの数の人が言っているだろうけど、「君たちはどう生きるか」という問いの皮を被った、宮崎駿の「私はこう生きた」だと感じた。同時に「君たちはどう生きるか」も間違いなく内包している。「私はこうした、君たちはどうする?」という問いかけを抱えた宮崎駿の内面、心情が作品として表れたようだった。作中の既存ジブリ作品の類似シーンなどはわからなかった。でも、そういうものがあったとしても、それは宮崎駿の内面から出るものなのであって当然だろうな。圧倒的な画力、アニメ力で、彼が抱えている言葉にできない(言葉にして人に伝えづらい)世界を、絵で見せてもらったような気持ち。

「どう生きるか」、この問いに関する答えは、当然私たち自身がそれぞれ見つけなければならない。(少年少女にするようなそんな優しい問い方ではなく、もう「ねえねえ、最近どう生きてる?」と聞かれる年齢ですけど…)。私たちが現実世界で自分なりの答えを探す、その手間に、宮崎駿なりのエールを送って背中を押してくれてた。それが、ラストの大おじ様とのやりとりと、青鷺の別れ際のセリフかな。
大おじ様との対話では、人間や世界の、愚かさ、不合理さ、加害性など、負の面を突きつけられた。宮崎駿も、このシーンの脚本やコンテを作りながら、人間はダメだね、本当にダメだ、くらいのことを思ってそう(ドキュメンタリーで見た宮崎駿の口調をぼんやり思い出している)。自分の世界にこもること(大おじ様の積み木)は、優しく安心できることかもしれないが、厳しい言い方をするとひとりよがりの世界でもある。自分や外界のちょっとしたキッカケ崩壊する危うさも含んでいる。そうなったときに、どうやったって人間は現実を生きなきゃいけない。人間は悪で罪もあって破壊もするけど、それを背負って飲み込んで抱えて、生きていくしかないんだ。大おじ様はそれができなかったんだなあ。悲しいけど、頭がいい人だからこそ、その道しか選べなかったのかもしれない。人間の悪意に耐えられなかったのかもしれない。でも我々は大おじ様ではないので現実世界に戻らなければいけない。眞人もその道を選んだ。
青鷺は、眞人や我々が現実を生きる上で、異世界(フィクション)が心の支えになることを、肯定してくれているようで嬉しかった。この記事冒頭で書いたような内容のセリフです。この映画で得た気持ちを、私の人生に持ち帰るね。
このへんの、最後のシーンは、もう少し考えたい。大おじ様を宮崎駿とする考え方もできると思う。そうしたら眞人は私たちで、私たちは宮崎駿(ジブリ)から旅立って、生きなきゃいけないのかもしれないね。でも、もらったものは確かに残っています。

ここまで長文を打ちながら、言語化が下手!文章作成能力が未熟!とヤケクソ気味になりましたが、見終えた後に、劇場をあとにしながら、「現実世界を生きなきゃな!どう生きようかな!!」って、心の中で叫んではちょっと泣く。そんな映画でした。私は好きです。

あとは気になった部分の感想をぽろぽろと。
まず本作ポスターで、従来のジブリ作品のようにキャッチコピーが添えられていないのはいいな。作品を見た後だからこそ思う。宣伝をしない、という方法の一環なのかわからないけど、作中の曖昧な部分を曖昧にしてくれた優しさを感じた。人それぞれの心にある、いろんなかたちの空間に、作品がもにゃもにゃ変形してぴたっとはまってくれるような余裕を与えてくれたように思う。これから宣伝やパンフレットが出てくるとその部分が狭まってしまう気はしてる。もし予告編が発表されるなら、本作のどのシーンが使われるんだろう。大衆に向けて何をアピールしてくるんだろう。考えるのは楽しくて、少し寂しい。
それから、これはもう個人的な好みの話になるんだけど、宮崎駿82歳にして私の好みど真ん中のビジュアルのキャラを出してきてびっくりしちゃった。あっちの世界のキリコさんなんですけど。本当に好みのタイプで、登場シーンで「駿マジか!!??」と思いました。やめてくれ〜アスベルもアシタカもハクもハウルも絶妙に回避してきたのに助けて〜〜とポップコーン食べる手を止めて心中で叫んでた。
あとは、宮崎駿のおばあちゃんのビジュアルが好きなので、わらわら動いてるかわいいおばあちゃんたちが見れてご褒美だった。老婆をあれだけ描き分けて尚且つ歩いているときにも全員個性がある、というのは本当にすごい。動画で見せられると感動する。廊下を歩くおばあちゃんの群れのシーン、何度でも見たい。いや本当、アクションシーンとか見せ場のシーンじゃなくて、日常の人間の細やかな動作を描かせたら右に出るものなしだと改めて思った。もちろん宮崎駿一人じゃなくて関わるスタッフの皆さんがいてこそです。十分なお給料が支払われてほしい。少し前に、本作関係求人かわからないけど、ジブリの求人給与がこれ?という話題を見かけたのをいまうっすら思い出しています。
それから宮崎駿監督、引退してから何か鳥に対して嫌なことでもあった?大丈夫?とちょっと思った。「天国…」「ご先祖様」ってうるうるしてる二人はかわいかった。現実世界で遭遇した時にいつも糞まみれになるもの、空想と現実の違いが明確にされてて好きです(あっちの世界で糞の描写なかったよね?あったら見落としです)。あとね〜大おじ様と王様の関係をもっと詳しく聞きたいオタク心です。あの世界で出会ってから長そうじゃん…いや、大おじ様が連れてきた子だったりするのか?他のインコと種類違いそうだから、繁殖して増えた世代でもなさそうな…。えっもしかしてずっと一緒にいたの?
最後に。本作の母親像(母性)に固執する感じ?が苦手な人は苦手だろうな。私は、戦中の"産めよ増やせよ"や、敗戦=何も無くなった、人も減ったところから出発するために人を産んでいた時代、そして戦中の監督の疎開経験などを考えると、ああいう描写になるのも一応納得はできたけど。あと姉が亡くなったから妹が夫に嫁ぐ、というのも今は忌避感あるけど当時は普通にあったんだろうな。この辺の描写は、時代性と、この人の作品の女性像の描き方から、許容できました。うん、納得というか許容というか、宮崎駿がほしい女性像であり母性なんだろうな、わかりました、という感じです。本作が本人の自叙伝要素が強いと受け止めたとき、ただのフィクションよりもそのへんの描写がやや生々しく感じるのも事実だけど。ここは、命の系譜も感じるところだから(実際女性しか出産はできないし)、女性の書き方が〜とかの感想で切り捨て難いところでもある…ボーイミーツガールともちょっと違うと思う。▲とじる


とりあえず、劇場上映中にもう1回見たいです。もうすでに記憶があやふやだし、パンフレットが出た頃にでも。まず原稿を頑張ります。君たちはどう生きるか?原稿をします。オタクだ。
なお、本作に関係ないんですが、場内の明かりが落ち、流れ始めた映像を見て「自然物が3D だ!?とうとう宮崎駿も3Dに手を出したのか…あの作画を見たくてきたけど3Dでもしかたあるまい、見ます」と思って心の準備をしてたらDolby Atmosの映像でした。びっくりしちゃった。
RSS